人生を豊かにするには刺激が必要だと思う。
人間は「慣れる」生き物とよく言うが、本当にそうで、毎日自宅と職場を往復するような生活を送っていると、その生活に慣れてしまい、何も考えずとも日々を過ごせてしまう。
人間は同じ日々や刺激の少ない日々を過ごすうちに、思考停止でそれを繰り返すことが出来る。
でも、そんな日々が続いていても「自分は豊かな人生を歩んでいる」とは感じ辛いように思う。
だから、刺激が必要だと思う。
自分自身も、この1ヶ月はあっという間に過ぎたと感じていて「あれ?この1ヶ月何してたっけ?」と思ってしまった。
スケジュール帳を見返せば、弾丸で東京へ行ったり、このメディアを立ち上げたり、その準備をしていたり、友人と街へ繰り出したりと、刺激になりうる普段とは違う行動を取っていた様ではある。
それにしてもまだ充実感が足りない。
といことは刺激が少ないということなんだと思う。
今年を振り返ると、3〜4月頃はとても充実感があった。
ここ最近と比べて、もっと刺激が多かったんだと思う。
当時は、仕事の関係で高頻度で出張し、出張先では朝から晩まで色んな人と会い、その間にレポート作成や内部ミーティングをしたり、合間に美術館に行ったりとせわしなく動いていた。
出張から帰ってきたら、旅行をしたり、トレーニングをしたりと、またせわしなく過ごしていた。
この頃は、予定がてんこ盛りで大変だと感じる瞬間もあったし、仕事では緊張することも、失敗したことも、恥をかくこともあった。
まさに、思考停止で過ごせる慣れた日々とは真逆の、刺激に満ちた生活を送っていた。
でも、常に充実している感覚があったし、今になって当時を振り返っても、ネガティブな印象より満足感やポジティブな印象が格段に勝っている。
話は逸れるかもしれないが、人生の豊かさは移動距離に比例するとか、収入は移動距離に比例するとか、創造力は移動距離に比例するとかよく聞くが、少しそれを実感したように思う。
経験したことの無いことを経験する、会ったことの無い属性の人と会う、行ったことのない所へ行く、そういうことが人生を豊かにするんだろうと思う。
とはいえ、そういったことは良い刺激にもなるが、ストレスにもなるし、そもそも恐い。
恐いから自分一人では飛び込めないと思うのが当たり前だとも思う。
まさに自分も今、「何したらええねん」と悶々として、困っている。
3〜4月頃の様に周りの仲間が連れ回してくれたり、お金が沢山あればもっと刺激を追い求められるのにな、と思ったりもする。
でもそれも言い訳なのかもしれない。
スマホやYouTube、SNSの中に豊かさはない。
惰性でNetflixを見ていても人生は豊かにはならない。
むしろ一瞬で時間は過ぎていくし、充実感もなく薄い日々になる。
そういう日々が続くと1週間、1ヶ月、1年はあっという間に過ぎてしまう。
そして後悔だけが残る。
人生で今が一番若い。
今が一番若いからこそ、常にコンフォートゾーンを飛び出し、刺激を追い求めないけないと思っている。
とはいえ何をしたらいいか分からず焦る、不安になる、結局行動できずさらに焦る、という悪循環になるのは良くない。
また、予定を詰め込みすぎて刺激を浴び続けるのも良くない。
個人的に8:2か7:3くらいの割合で、刺激と休息があるのがちょうどいいかもしれないが、適切なバランスは自分でもまだよく分かっていない。
さらに、ただ自分の人生の豊かさのために刺激を追い求めるだけでなく、その行動が社会的な価値を生み出すことや仕事とリンクしている状態が一番理想なのかもしれないし、その状態を追い求めたいと思う。
追記:これを書きながら思ったのが、結局、クリエイティブで居続けたい、そしてそれで金を稼ぎたい、ということなんじゃないかと思った。
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